玉山金山

岩手県陸前高田市竹駒

玉山は、気仙一帯の大金鉱であり、その歴史は奈良時代に始まっています。奈良の大仏には玉山の金が使用されたということであり、平泉藤原時代の栄華は玉山金山によるものといわれ、今にのこる金色堂でその産金量を推察できます。
さらに、小松三位重盛が、当山産金3500両を唐の育王山に寄造したこと、元の来襲もこの金鉱を得んがためといわれます。マルコポーロが東方見聞記で日本を黄金の国と紹介しましたが、その主体は玉山金山だったようである。
豊臣、伊達の直轄とされた玉山は、明治37年に政府が玉山を抵当にして日露戦争の軍資金に欧米から8億円の借入をしている。現在も、金のべコ(金の牛)が千人坑に眠っているとオソトキの民話で語りつがれている。

産出鉱物

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玉山神社

玉山金山入口案内板検問所跡
  
千人坑跡和右エ門坑跡
玉山金山最盛期の主坑で玉御前社の真下を通
り縦横に多数の坑道あり延宝年中(1673〜80)
より産金量減少し黄金の牛と坑夫千人が落盤
の下敷きになったと言う伝説がある坑跡。 
瀬戸和右エ門が開坑し慶長16年(1611)
矢作村雪沢の御金山師小野寺源太郎が
100日で140万両の金を掘り出した玉山
で最も多く金を産出した坑跡である。 


玉山金山は、奈良時代から江戸時代に盛んに掘られていたようで玉山神社の周り一面にズリが多くある
千人坑より湧き出す霊泉を利用した玉の湯(玉山霊泉)は休日になれば多くの客でにぎわっている。

現在もズリの中から水晶や砂金が採集出来そうである。

陸前高田は20数年ぐらい前に高田松原の旅館に宿泊し高田市内や横田や住田町に出張していた、玉山も懐かしい場所である。


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