草倉銅山
新潟県東蒲原郡鹿瀬町
熱水鉱脈鉱床
草倉銅山は、江戸時代には会津藩により銅山として開発されており、明治に入ってから古河市兵衛により
経営され明治中頃に最盛期となるが明治末期より産出量が減少し、大正9年には休山となり、
次々と鉱山関係者が栃木県の足尾銅山に移ったと言われ、後に銅山王と呼ばれた古河市兵衛の足がかり
となった草倉銅山跡は現在、鹿瀬町指定文化財に指定され保護されている。
- 産出鉱物
- 銅・鉛・亜鉛・鉄
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草倉銅山跡
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草倉銅山跡案内標識 | 銅山跡は樹木が生い茂っている |
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坑口跡 | 製錬滓(カラミ)のズリ |
草倉銅山跡は、写真の遺構上部の山林中に露天掘り跡と思われる採鉱跡が山中いたる場所に窪みとなり散在する
銅山跡は町の文化財に指定されているので鉱物採集等は行わないで下さい、下流の沢などでは可能かもねっ??
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