上北鉱山は、古くから地元住民により鉱石の存在が知られていたが、昭和10年(1935)に三井栄一氏により硫化鉄鉱脈が発見され、
昭和12年頃より三井氏と高森鉱山で硫化鉄鉱の採掘を開始した、昭和15年権利は上北鉱山(日本鉱業)に移り本格的に採掘を始め
昭和16年(1941)銅鉱床を発見し軍需用として盛んに採掘が進み昭和19年には従業員1500人を超え銅の生産量が月産1400トン
に達した。
戦後は主力の銅鉱に加え硫化鉄鉱の採掘も再開、昭和30年に入ってから選鉱場も完成し、1ヶ月に2万トンの鉱石を処理したが
昭和40年代に入ると鉱石が枯渇し縮小を余儀なくされ昭和48年6月(1973)閉山となった。現在は選鉱場跡に鉱害防止の中和施設が
稼動している。
稼行時の上北鉱山写真 | |
煙突(現在中和施設) | 沈殿池 |
右奥にズリ | 選鉱場跡 |
遺構は選鉱場近くが主で坑跡は本坑、高森坑、上之沢坑、奥之沢坑(露天掘り)などがかろうじて解る程度である、中和施設に太いパイプで
坑内水を集めている。
戦時中の炭鉱や鉱山では朝鮮人や捕虜を労働させ捕虜収容所やタコ部屋の話は多くあるが上北鉱山にも捕虜収容所が高森にあったようだ。