舟打鉱山

青森県中津軽郡相馬村

舟打鉱山は、江戸時代末期の安政年間(1854〜1859)相馬村の万右衛門によって発見され、その後山の権利は幾多の人々に次々と移ったが 昭和4年に日本曹達により本格的に採掘が開始され、昭和10年には舟打部落が形成されて最盛期には約千人を数え活気にあふれた。
第2次世界大戦中は昼夜の別なく増産に励んだが終戦と共に生産は減ったものの昭和30年頃でも日産70トンに達していたが 昭和36年に貿易自由化になり価格低迷により昭和37年9月閉山した。

産出鉱物
銅・鉛・亜鉛など

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鉱山跡に建っている舟打鉱山記念碑

無縁仏舟打鉱山の案内板
  
太陽光発電のキャンプ場建物舟打鉱山のズリ


舟打鉱山跡はキャンプ場になっている、鉱山跡の奥のズリには黄銅鉱や方鉛鉱や閃亜鉛鉱が少量含まれている。


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